A Hard Day's Life

好きなこと、嫌いなこと、日常について書きます。

全ての色は美しい

 地毛が茶色なのに黒染めをしつこくさせる大阪のある高校のニュースに驚いた。

 例え金髪の外国人留学生も黒髪にしなければいけないらしく、開いた口が一向にふさがらない。


 黒髪だけが正しい色なのか?

私はそうは思わない。友達は眩いばかりのプラチナブロンドから真っ黒くてツヤツヤの黒髪までいる。

もちろん間の栗色の子、アッシュ系の子もいる。もちろんすべて地毛である。

 私は柔らかめの発色の黒髪だ。

もちろん自分の色は美しいと思うし、友達の色、通り過ぎる人の色、会ったこともない世界中の人の持つ色、全てが等しく美しいと思う。


 あるアフリカ系の友達は、「髪はきついパーマだし、肌も黒い。それでいじめられたこともあるし差別されたこともある」と言っていた。

白人系の友達は、「髪は明るい色で小学校でからかわれて学校に行けなかった。今でも名前をからかわれる」と言っていた。

アジア系の友達は「浅黒い肌が嫌だ、全く白くならない」と言っていた。


 私にしたら、みんな美しい。

私はドレッドヘアが大好きで、自分のクルクルした髪よりかっこいいと思う。

アジア系のクールな浅黒さ、アフリカ系のココア色の温かい色合いは私がいくら日焼けしようが絶対に真似できないオンリーワンの色合い。

白人系の明るい髪は将来ハゲるリスクを負わなければ得られない。いくら美白をしても真似できない。


私の色も同じで、象牙色に似た肌の色は私の色で柔らかい黒髪も私のオンリーワンだ。


髪の色、肌の色、目の色…体が持つ色はそれぞれが持つ自分だけの配合のとても美しい色。

すべての色が肯定され、認められるべきだ。なぜって、それが多様性であり人間のあるべき姿だからだ。


何色だから正しい、何色だから優れてる、そんなものは誰の妨げになるべきでも、気にとめることでもない。

すべての色が正しく、優れていて、とてつもなく美しい。


それを他人に踏み躙られたり、貶められたり、からかわれたりするのが1番正しくない。

なぜなら全てがアイデンティティであり、たとえあなたが愛していなくても誰かがとても愛している人なのだから。


 


誰も自分が理解できない分からないことは不安に思って絶対にしないはずなのに、差別だけは違うようだ。

差別をしている人は、何が理由なんだろう。

多分、誰にも分からない。差別を受ける方は色々考える。自分を作り出すアイデンティティのすべてが理由になるからだ。

差別する方は、なぜ差別をしているのかきっと分かってはいない。

自分と姿が違うから?何を考えているか分からないから?

誰もがそれぞれの姿を持ち、それぞれの考えがある。そんな当たり前のことが差別に繋がるのか?


冷静に考えたら差別なんてしなくていいはずだ。

差別する側にもされる側にも、誰かの親である人がいて、愛し合う人がいて、失恋中の人、過去にいじめられた人、いじめた人、野菜が好きな人、本が好きな人……。

共通点は必ずある。同じ人間で、同じ地球に住んでいる。これだけでも奇跡的な共通点だ。

 共通点を大事にしよう。同じものを共有するもの同士にあるべきものは、差別と偏見ではなく思いやりと笑顔だ。


すべての人のバックグラウンドを認め、すべての美しい色を認め、すべての個性を認めよう。全てが等しく奇跡的で美しく、尊重されるべきものだ。


すべての人は友人にも恋人にも家族にもなり得る、深く愛すべき人々だ。