A Hard Day's Life

好きなこと、嫌いなこと、日常について書きます。

肩幅の広い女は最高である。

 私は肩幅が広い。身長が160センチ弱なのに肩幅は44センチある。まるで男のような逆三角形の上半身。

 中高生の頃、それはとてもコンプレックスだった。ネットにも「華奢な子がかわいい」「肩幅広い女は萎える」と散々な書かれ方をしていた。

 おまけに共学なのに彼氏もできず、「私がブスだから、体が逞しいから…」などとずっと考えて猫背になっては祖母から「美しい人は背を伸ばすものよ!」と喝を入れられ続けていた。


 しかしやっぱり華奢な子への不毛な憧れは払拭できず、大学へ猫背なまま上がることになった。

 「自分はこのまま可愛くなれないままなのだろうか」とやっぱり気にして好きな服は選べず、学内にいる華奢な清楚系女子を羨んでいた。


 しかし、そんな私にも転機が訪れる。

 肩幅が広いことなどで鬱々としていたが、ある日アメリカ版プレイボーイ誌のアジア系モデルとクイーンオブバーレスクの異名を持つディタ・フォン・ティースの写真を見る。

 (この人たち、体がしっかりしてる…肩幅がある…そして何より、華奢とは言えない肩幅だけどすごく女性らしい!)

 そう思った私は、鏡の前で下着姿になった。脚の長さやら身長やらは全然違うが、肩幅は似たようなものであった。

 これだ!と私は思った。その日から可愛い洋服はやめて、体のラインを出す洋服にした。必ずハイヒールで、背筋を伸ばして胸を張った。

 それが日常になると、好きだと言ってくれる男性も出てきたし、 デートにも誘われるようになっていた。体しか見ない男性もいたが、そういう男性は気の強い私に辟易して消えていった。

多分、自信が1番大切だったのだろうと今では思う。

今では自分で自分に誇りを持つことが1番の自分の飾り方だと思えるようになっていっている。



 今となっては、肩幅程度のことで萎える男性はしょぼいと思ってしまうし、大胆なカットの洋服や派手な色であってもそれなりに見える自分の体が大好きである。

 たとえパートナーの肩幅がドイツ軍の軍服のSサイズ相当であっても愛してくれる人もいる。


 華奢な子じゃなきゃ…のような記事を見かけるたびに、「グレイみたいな上半身しやがって、その体型で赤のドレス着たら洋服に着られちゃうからな」と過剰な華奢ブームに毒づいている。


 話は変わるが、体が多少ふくよかということも魅力的だ。付くべきところにお肉が付いているのだから。

 私はコピー用紙に収まる細い腰まわりや、iPhoneに収まるような太ももが至上だとは思わない。そういった美意識があるのは認めるが。

 なぜなら、私のコンプレックスをなくしたのは、そういった真っ赤なドレスとピンヒールという、カーヴィでしっかりした女性の象徴だったのだから。